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2000: 名無し 2017/09/04(月) 13:27:44.77
マブリットキバ
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第65回 誰かのためにプロジェクト 参加メンバー紹介 岩花詩乃さん編

2015年8月7日。今から2年前に幕張メッセの握手会でジオラマの展示会が行なわれた。初日はメンバーブースで展示され、ジオラマを製作しているこども達も案内役で参加して多くのメンバーと再会をし、はじめてのメンバーと出会いが生まれ新しい交流と物語がいくつも生まれた。

被災地のこども達はそこでジオラマを通し一人のメンバーと運命的な出会いをすることになる。HKT48のメンバー岩花詩乃(以下しのちゃん)さんだ。

ジオラマ展示会ではしのちゃんはあまりこども達とは交流ができなかった。オレもあまり説明ができなかったのを覚えている。

だが2年経った今現在、しのちゃんはこども達や山田町の人達、宮城県南三陸の人達にとって必要で来訪を待ち焦がれるほどのメンバーになっている。それは何故か、しのちゃんが語らなかった震災にまつわる事実の話しを紹介したい。

東日本大震災で多くの人が家を流され、あるいは火災や倒壊で失った。その数は一つの自治体でも数千を越え、市町村によっては「壊滅」の表現が使われたほどだ。こうなると避難所では収容人数のキャパを越えてしまい生活が不自由になり異常なストレスがかかる。その影響を受けるのは体の弱いお年寄り、次に感受性が豊かなこども達。

現地ではこのまま我慢して暮らすか、辛い時期を脱出して他の土地に一時的に移るかの選択を迫られる親御さんも多くいた。

「せめてこども達を不安のない環境に」そうした親後さん達の願いを聞いて全国のあちこちの家庭で被災地のこども達を一時的に受け入れ、地震やその影響のない安心した環境で生活させるホームステイのような制度が生まれた。その中で宮城県沿岸から九州に一時受け入れとしてこども達が迎えられ、そのこども達を快く受け入れてくれたのが岩花詩乃さんのご家庭だったんだ。

しのちゃんはHKT48に入る前に、一時受け入れの家族として被災地のこども達と一緒に家で過ごし、幸せと平和を与えてくれた。その後にこども達は宮城県に戻り、しのちゃんはHKT48に合格、晴れてAKB48グループの一員として頑張って行く事になる。この事がわかったのは交流をしてだいぶ経った時にしのちゃんが語ってくれたからだ。

2015年のジオラマ展示が終わって2016年になり、ふるさとの沿岸を離れた親子達がお正月に戻ってきた。帰る場所はもうない、それでもお正月はこどもを連れて生まれ育った岩手県で過ごしたいと戻ってくる。オレはそんな親子を案内して、ジオラマがどうなったのか、沿岸の今はどうなのかを親御さんやこども達達と神社にお参りをしながら話すことがお決まりになっている。

そんな時のこども達は寂しそうだ。その中にしのちゃんを推している子がいて、しのちゃんの話しは?と聞かれて困った。この時点では接点が全くなかったからだ。

その事を755で書くとしのちゃん本人が自分のファンの子がいると知って返事を送ってくれた「わたしもいっしょにそこにいきたい」このたった一つの優しい返事が、多くのこども達に広がりしのちゃんを応援し、ジオラマにしのちゃんの想いを具現化した作品を作って応援しようとなった。

半信半疑。オレはそんな状態だった。なぜたった一言のSNSの返事にこども達はしのちゃんの作品を作ろうと言い出したのか。

他のメンバーだってエールを送ってくれている中でこども達はしのちゃんだけに見出したものがある。それが何か全くわからなかった。ジオラマの展示会でもしのちゃんはあんまり反応がなかったから、こども達にうまく語れてもいない状態だった。それでもこども達は何かを見出したようにジオラマの製作を開始した。

製作は苦労を極めた。いつもはジオラマ作品を作る際、メンバーのイメージが交流を通してすんなり頭に浮かぶ。だがこの時点でしのちゃんとこども達の接点はSNSのみ。こども達の感覚やイメージが製作をするオレにはわからない。

それでもこども達はああだこうだとアイデアを出してきた。遂にオレはこども達にお前達やしのちゃんが何を見ているかわからないと手を止め弱音を吐いた。それに対してこども達は労うように優しくオレに教えてくれた「しのちゃんが見ている先に答えがあるよ信じて下さい」と。

そうしてジオラマは遂に完成した。全グループの誰でもない誰かのためにのジオラマステージ。人形やステージ、看板が切り替えられるので誰でもセンターになれる夢のステージだ。

このジオラマには電光掲示板が設置され、こども達からしのちゃんへの感謝のメッセージを最初に入力した。その様子を755に投稿するとしのちゃんは何も語らずに自分の瞳だけが写った写真を投稿した。そこに一切の文面はなかった。

意味がわからなかった。でもその写真を見てこども達が教えてくれた「しのちゃんが見ている先に答えがあるよ」と。

オレはこの教えを一生忘れる事はないだろう。写真のしのちゃんの瞳の中に、ジオラマの電光掲示板に流れるこども達からのメッセージが映りこんでいる。しのちゃんは全てを受け止めて、最大級の返事をこども達に送ってくれたんだ。この事からこども達はしのちゃんを好きになり、全面的に応援を始めた。

そして2016年3月23日~24日にジオラマは遂に海を越えて九州のHKT劇場に展示される事になった。HKT劇場の最後にお礼と今までの感謝の意味を込めて、ジオラマはこども達の心と一緒に海を渡った。

このときもこども達はしのちゃんの作品を追加製作しよう!となった。オレは知っていた、展示の期間はHKTメンバーのほとんどがそう選挙活動に向けて東京や仕事に行っている。だからジオラマの展示にメンバーは来れない。そう聞いていたしその事をこども達にも話した。でもこども達には確信に近いものがあった、しのちゃんは絶対に来るよと。

ジオラマ展示を行っているとき、しのちゃんは一人でやってきた。自分の決断で、自分の意思でこども達の期待に応えようと行動をしてくれたんだ。

しのちゃんは一人の人として、見学しているファンの皆さんと一緒にジオラマを見た。こども達の想いを昇華させてくれた。オレは聞いた、なぜそこまでして行動をしてくれたのか、なぜこども達はしのちゃんを信じる事ができたのか、教えてほしいと。

しのちゃんはそこで自分がHKT48に入る前に、震災で宮城県の被災したこども達を一時避難先として自分の家でホームステイをさせて一緒に過ごしていたことを話してくれた。

「しのちゃんが見ている先に答えがあるよ」こども達は知っていた。

しのちゃんと被災地に深い関わりがあるであろう事を、しのちゃんがやっている事の先に何を見ているのかをわかって応援をしていた。

こども達はしのちゃんは正しいと証明をしようとして、答えを与えるためにジオラマを製作していたんだ。メンバーが今やっている事だけを見るのではない、何を見て何のために今その行動をしているのかメンバーの見ている先を見て、みんなに知って応援してほしいとしのちゃんとこども達は身を以って教えてくれたんだ。

その後、しのちゃんの話は誰かのためにプロジェクトと山田町の人達に広く伝わった。そして2016年の12月にジオラマの感謝の報告際が山田町で行なわれ、しのちゃんはメンバー達の代表として雪降る岩手県の沿岸、山田町に訪れた。

そして2017年3月4日に行なわれた被災地の一斉訪問のメンバーとして岩手県岩泉町に訪れ、誰かのためにと歌って踊り大切なものを被災地のみんなに届けた。この時にしのちゃんは後に被災地に大きく貢献するメンバーとの出会いをする、AKB48後藤萌咲さんだ。

2017年の夏を迎えようとしたとき、後藤萌咲さんがジオラマの配信をしたいと言った時に快く協力を引き受けたのがしのちゃんだ。

なかなかジオラマの企画が進まない中でしのちゃんは一人で誰かのためにプロジェクトのスタッフさんにジオラマ企画をどうすすめればいいのかを聞いて、もえちゃんのバックアップを見えないところで行なった。

その行動と勇気を誰かのためにプロジェクトスタッフのみんなは賞賛し後押しをしてくれたそれが被災地のこども達や人々のためになると理解しているからだ。しのちゃんは誰かのためにプロジェクトでも被災地にとっても大切な人としてみんなに好かれ信頼をされている。

2017年9月3日の誰かのためにプロジェクト山田町訪問で、しのちゃんは衣装を来てAKB48グループの代表としてこども達や町の人達と再会を果たし喜び合った。

青空の下でしのちゃんが歌って踊る姿を笑顔で応援するこども達や被災地の皆さんを見て、オレはあのときSNSでメッセージを送ったしのちゃんとそれを受け取ったこども達はこの光景を夢見ていたんだと確信した。

ジオラマに作られた誰かのためにのステージ。想いを持ったメンバー達が自由に参加してセンターに立てるステージはこの瞬間の光景だったのだと気付いた。メンバーの見ている先に応援する答えがある。こども達としのちゃんが作り上げた絆と交流、それを果たすことは多くの幸せになるのだと身を 以って知った。

今回の訪問でしのちゃんはこども達とジオラマの製作教室を行ない作品を残した。その際、驚くことにしのちゃんは迷うことなくジオラマ製作をテキパキとこなしオレやこども達を驚かせた。そして大事な仕上げ作業をもえちゃんに任せるところにしのちゃんの優しい一面を見た。こども達とオレはこれなら安心だな、他の町に行っても大丈夫だとと笑ってうなづきあった。

現在、しのちゃんはジオラマの製作を自分で進めSNSで公開している。山田町のジオラマもそうだが、2017年から始まる宮城県南三陸町のものづくりジオラマプロジェクトに製作メンバーとして後藤萌咲さんや湯本亜美さんと一緒に参加する事が決まっている。

新しいジオラマを作り多くの被災地の人々を幸せにしていくのだろう。

しのちゃんは今回紹介した中で直接的に震災に関わり、今回の出来事まで6年間も被災地を一人の人として継続して支援応援をしているメンバーであり、被災地のこども達と共に生活をして心情を理解する唯一のメンバーといってもいい。

しのちゃんが今やっている事のその先に被災地のこども達が夢見たブレーメンがある事を皆さんにどうか知って頂いて応援をしてもらえれば幸いだ。


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マブリットキバ
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2017年9月3日 【第65回誰かのためにプロジェクト 岩手県山田町訪問】

台風が過ぎた快晴の日。誰かのためにプロジェクトの訪問が岩手県沿岸の山田町で行われた。山田町への被災地訪問は2011年5月22日の一回目から数えて、実に7回目の訪問となる。

誰かのためにプロジェクトの基本的なおさらいをすると、この活動は社会貢献活動でファン主体のイベントではない。被災地のこども達の健全な育成への支援活動、被災地の人々に元気を与える応援活動、被災地の現在の情報を発信することでの支援活動、災害にあった地域などの観光応援、などが主とされている。

訪問に訪れる被災地、もしくは災害の遭った場所に赴き現地の人々に歌やダンス、ふれあいを通して少しでも笑顔になってほしい、元気になるキッカケになればと活動を行うことが主軸になる。この活動は月に一回の訪問を目標として、2011年5月22日の第1回訪問から数えて今回の2017年9月3日で65回目の訪問となる。

現地の人達との交流、応援が主体となり。またこの活動を支えるスタッフはみんな48グループ関連のスタッフで構成されており、リーダーを努めるのは石原真プロデューサー。そこに各グループから様々なスタッフが集まりその都度、現地の要望に応え力になるにはどうすれば良いかと最善の協議を行い、準備をして参加している。

いずれも全員がボランティアの参加であり報酬などは全くない。参加するスタッフも様々だが全員の根底にあるのは「現地の人に喜んでほしい。力になれれば」という理念のみだ。

参加するメンバーはスタッフなどが前もって現地情報を集めたり聞き込み視察などを行いその時期、その内容から判断をして訪問場所に最もふさわしいメンバーを選出する。

これにAKB48グループだけの主導や意思決定はない。現地に赴き「そこにいる人々に最も寄り添えるであろうメンバー達を選出」し、スケジュールを確保する。もちろん現地側からの要望もある、その際はできるだけその要望をかなえる様にしている。

訪問活動における48グループの役割とは何か、それは石原真プロデューサーの著書「AKB48、被災地へ行く」やAKB新聞の著書「涙は句読点」の中でも詳しく語られている。

厳しい表現になるがわかりやすく言うと「被災地に置ける活動でAKB48は客寄せパンダでいい」というものだ。訪問において参加するメンバーは主役にはならない、その場所の活性や復興に少しでも応援支援の助力になればという事が一番守られるべき部分。メンバーではなく被災地に生きる人やこども達こそが誰かのためにプロジェクトの主役であり、AKBグループはその人々を応援する活動を行うことがこの活動の中心にある。

今回の岩手県山田町の訪問で訪れたファンの方が「なんでこのメンバーなんですか?」と語っていた。知らなければ当たり前の疑問であり、被災地訪問の主旨を知らないAKBグループに明るい人ならこうした意見や疑問は当然と思う。

例えば、有名な選抜メンバーが訪問をすれば多くの人が集まるだろうし、盛り上がるだろう。

しかしこれは選択と手段の一つに過ぎない。被災地や災害に遭った地に赴き一回のイベントで大々的に興行を行い活性化の即時実績を構築するのも意義のある選択の一つだ。

だが選択はもう一つある、それは被災地や災害に遭った地の人々とメンバーが交流を重ね本当の意味での理解者や代弁者になることだ。

交流をし、学んだことをメンバーが被災地の人になり変わり情報を発信をし、忘れ去られたものや置き去りにされたものにもう一度、多くの人に目を向けてもらう機会に繋げること。

しかしこれは現地にいる人と交流を重ね、信頼がなければ決してできない難しい選択だ。なにより誰かのために プロジェクトは「自分の仕事」ではなく「自らの役割」を努める事が主旨であり、それに重きを置くか、行動をするかはメンバーの自由意志に任せるしかない。

以上の事を踏まえて、今回の被災地山田町の訪問メンバーを紹介したい。

AKB48からは込山榛香さん、湯本亜美さん、後藤萌咲さん、チーム8からは佐藤七海さんの4人が参加。SKE48からは松村香織さん一名が参加、HKT48から岩花詩乃さん一名が参加、合計6名で行われた。

なぜこのメンバーなのか、このメンバー達のいったい何が選出された理由になったのか、上記の誰かのためにプロジェクトの活動の説明からこの6名のメンバーが何を果たしたのか、それを以下にまとめてみたい。

※リンク先に今回参加したメンバーさんの訪問の様子と被災地との関わりを紹介※

AKB48 込山榛香さんと被災地との交流と関わり

AKB48 湯本亜美さんの被災地へ一人でもできること

AKB48 後藤萌咲さんの被災地のために自分から動くこと

AKB48team8 佐藤七海さんの被災地の代表になるということ

SKE48 松村香織さんの被災地に寄り添うということ

HKT48 岩花詩乃さんの被災地のこども達へ向き会うということ

AKB48 阿部マリアさんの被災地のこども達の家族になるということ

※阿部マリアさんについては現地の人やこども達から強い要望があり今回同列として紹介したい※

以上が誰かのためにプロジェクト第65回のメンバーさん達が選ばれた理由になる。

いずれのメンバーも数年という長きにわたり、被災地の人との交流や情報発信を自らが行い、現地のこども達の健全な成長に素晴らしい助力をしている。

被災地の人々に元気と笑顔を届けるという実績と、求められる高いハードルを越えた結果を出しているメンバーがこの6名だと言うことが理解してもらえるかと思う。

上記で説明した通り、被災地や災害に遭った地との交流を行うか継続するかはメンバーの自由意志に基づかれている。その役割を自らの決断と行動で数年間に渡り継続しているメンバー。山田町と何年間も交流を重ね、現地から求められたメンバーが今回の6名だ。

わかりやすく言えば

「こみちゃんが行けばなじみのこどもと現地の人は笑顔と元気をもらえる」

「ゆあみちゃんが行く事で現地の人はおかえりなさい!を伝えられる」

「もえちゃんが行く事で山田町で学んだ経験を使い多くの人が幸せになれる」

「ななみんが行く事で岩手のテレビを見ている人達は大人もこどもも盛り上がる」

「かおたんがいくことで町のみんなが待ってましたと喜ぶ」

「しのちゃんが行く事でいつもありがとうと私達も頑張るからねと伝えられる」

単純な理由だ。だが決して簡単に出来ることではない。この6名でなければならない、そうした事実と現実があっての訪問だ。出来る限り多くの人に伝えたいし、知ってほしい。活動は継続6年半になった。容易ではできない事を意味があるからこそ続けていけると言う事を。

人を呼ぶなら公式の集客イベントを開催し大きな花火をあげて、大きなステージで大々的にやればいい。

でもそれをしないのは現地のこども達や人々と出来る限り距離を近くにしてふれあいと交流を大切にしていると言う事、手作りで出来ることに意義を持って優先しているからだと少しでも多くの人に伝わってもらえれば嬉しく思う。

そしてこの活動を応援し、協力している名も無き偉人の皆さんに伝えたい。活動が継続しているのは皆さんのおかげだと。心から感謝とありがとうを言わせてほしい。


ここからは誰かのためにプロジェクトの6年半を見てきたオレの私見になるので、読みたくない人は飛ばしていい。

オレは被災地で様々に求められることがある。当たり前だがずっと被災地に関わっていてメンバーよりも多くの事を知り、多くの現地の人達と交流を重ね付き合いもある。

だが、自分はこの7名のメンバーを超えられないしその役割を果たせないと間違いのない確信を抱いている。そうだ、マブリットキバ程度ではメンバーの変わりは出来ない、到底無理なのだと気付く。

彼女達が来れば、こども達は喜び笑う。現地の人達は笑顔になり無意識に拍手をする。声は恥ずかしくて出せないがずっと笑顔で踊る姿を見守る。

決して立派ではないトレーラーステージで踊り歌うメンバーの姿を見る被災地の人々は幸せそうに笑う。動かなかった手や足が音楽や歌、メンバーの笑顔につられて少ずつリズムを刻んで動きだす。

ふれあいを通して長年差し出す事のなかった手を差し出し、その手をメンバー達はとり、笑顔でアスファルトにひざを付き「家族」を向かえるのだ。

今回紹介をした彼女達7名のメンバーは、山田町のこどもや人々にとって、長年の交流を重ね「大切な家族」になったのだとオレは知る。

メンバーは被災地の人達の心の防潮堤を取り除き、離れた場所にいながら穏やかな海を一緒に見て笑っている。

大事な家族が帰ってくる。現地のこども達からはお姉さんやお母さんが帰ってくるように見え、お年を召した方々から見れば可愛いこどもや孫がキレイになって笑顔で手を降り帰って来るように見えている。現地の人々にとってこれ以上なく嬉しいことだろうと思う。

現地にいるオレには決して出来ないことを今回紹介したメンバー7名はプライドも誇りも捨てかなぐり捨て、涙も怒りも隠さずにあがきながら誰かのためにと生きている。

オレは被災地訪問に立ち会う度に思うんだ。

全てを失ったのに、家族や家を失ったのに、なぜ笑えるんだと。震災と大津波からたった6年ちょっとしか経っていない、復興だってまだまだじゃないか。メンバー達も誰かのためにプロジェクトのスタッフのみんなも、現地の人もこども達も報われずに苦労をいっぱいしてるじゃないか。

なぜ笑うんだ、夢をもてるんだ、闘えるんだ、なぜ捨てない、なぜ逃げない、なぜ目を背けないんだ、なぜできませんと言わないんだ、なぜ誰かのために尽くして生きる事ができるんだ。

オレは震災から神様を信じてはいない。でも歌とダンスの神様がいるならどうか聞いてほしい、誰かのためにプロジェクトを見届けてきた最初で最後のオレの願いを。

今回の記事に書いた彼女達は何年にも渡ってこれ以上ない場所でこれ以上ないぐらいの努力をし、被災地の誰かのために生きている。

誰かのためにプロジェクトが産んだ本当の宝物だ、答えにたどり着いたメンバー達を絶対に失ってはならない。全てが歌とダンスで始まったなら、きっと最後まで彼女達はそれを全うするだろう。

だからこそ彼女達に歌とダンスで報われるようにして欲しい、彼女達に新しい一枚の翼を与えてはくれないか、こども達や現地の人がそれを一緒に歌うことができるなら、笑顔に導いてくれるならオレは見届けずこの世から消えたっていい。

こども達から見ればメンバーには片方の翼はあるように見えている。あと一枚の翼があれば飛べるんだ。

そして多くのこども達や人々が待つ大空と海の果てに飛ばせてあげてほしい。このメンバー達は飛び方は知っている。そうすれば多くの人の元に幸せを運び、きっと笑顔が増える。地を這い蹲ることしかできず、光から目を背けてきたオレだからこそ、空を飛ぶ者の素晴らしさと光の強さと美しさがわかっているんだ。

夢も目的もバラバラの人達が集まり、たどり着いて笑いあったブレーメンが、守りぬいた者達が今生きている場所が幸せであったとどうか信じさせてほしい。

長くなったが最後まで目を通してくれて本当にありがとう!

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しのちゃんの表情が・・・すごくいい。